内なる自分と戦うのが、現代のファンタジー
ファンタジーの根底にあるのは“不幸”と“死”
安藤武博(以下、安藤) 僕はファンタジーってなんなのか、ということを、中学生、まさに、中二病全開のときに考えたんです。僕は非力で、思い通りに言えないことややれないことがたくさんあって、そういうみんなのかなわない欲求を物語にのせたのがファンタジーなのかな、と。だから、ファンタジーって登場人物が不幸であることが多いんですよ。
渡部辰城(以下、渡部) ああー、それはドラクエのゲームデザイナーの堀井雄二さんも言ってました。
安藤 あと、死がすごく近い。不幸と死はファンタジーの根底にあるものだと思います。『テンプリズム』(※1)の第1回を読んだとき、登場人物がいきなり死ぬじゃないですか。しかもけっこう戦闘シーンが激しくて、流血表現もある。僕はあれを読んで、曽田先生は本気でファンタジーをやろうと思っているんだ、と感じました。
曽田正人(以下、曽田) 今までのマンガに比べると、たしかに流血は多いですね。
渡部 ファンタジーにはよく魔法が出てきますよね。魔法と科学はどう違うのかについて、2ちゃんねるのスレッドで議論されていたんですね。そこに「誰でも使えるのが科学、血筋がないと使えないのが魔法」というすてきな書き込みがあって、なるほど、と思いました。血筋って抗えないもので、自分はやりたくなくても、血筋をひいているだけでやらざるを得ない状況に追い込まれる。『テンプリズム』の主人公・ツナシもそうですよね。これは、ファンタジー特有の世界だと思います。
安藤 現代では、実生活で血筋や家柄で縛られることって、もはやあまりないですよね。このように、時代によって共感を得られる設定って変わってくるものだと思っています。ゲームプロデューサーとして、死や不幸を取り扱うときに、どういうシチュエーションがトレンドに合うのか、どうしたら皆さんの共感を得られるのか、ということはよく考えます。
曽田 なるほど。
安藤 昔は死が身近にありましたよね。戦争があったり、身分の高い人にはむかっただけで殺されたり。そういう理不尽な死や不幸があると、ファンタジーは成り立ちやすいんです。例えば『パンズ・ラビリンス』というダークファンタジーの映画は、内戦後のスペインを舞台にしていて、独裁政権下で虐げられた生活を送る少女が、現実逃避のために妖精やおとぎ話の世界に入り込んでいくというストーリーです。
渡部 『ナルニア国物語』もそうですよね。戦争中の疎開先で、タンスを開けたら異世界・ナルニアに引き込まれる。
安藤 僕は、『水滸伝』もそういう意味でファンタジーだと思ってるんですよね。あの時代は、役人が税金を厳しく取り立てていて、政府に対する不満が募っていた。そこで、無頼漢が集まって国に立ち向かってくれたらいいな、という民衆の願望が伝承となり、それをひとまとめにしたら『水滸伝』になった。
「エヴァンゲリオン」と『テンプリズム』の違い
曽田 そう考えると現代は、死や不幸が身近じゃなくなると同時に、倒す敵がわかりにくくなって、ファンタジーが成り立ちにくいんじゃないでしょうか。
安藤 そうです。そこで、どうなるかというと、じつは自分の中に敵がいて、そいつが自分を攻撃する、という構図が現れてくるんです。これがいわば、現代の戦争なんですね。『新世紀エヴァンゲリオン』が放送されたあたりから明確に、自分の精神世界の戦いを描く作品が増えています。いまは、そちらのほうがリアリティをもって受け入れられるんですよ。
曽田 そうか、そういうことなんですね。
渡部 敵も描かれてはいるんですけど、なぜ襲ってくるのか、背景は描かれない。むしろ、敵に襲われたときの、主人公の行動や心の動きにフォーカスをあてた作品が多くなっていると思います。
曽田 なるほどなあ。エヴァンゲリオンのつくり方は完全に自分のメソッドに無かったからわからなかったのですが、そういう事なんですね。そして、『テンプリズム』は、明らかにそういうつくりかたをしていないんですよ。むしろ、敵は敵で、動機をしっかり描きたくなってしまう。だからいまのお話を聞いて、心が揺らいでます(笑)。
曽田 お話を聞いていて、ファンタジーってそういうふうに考えるのか、と改めて勉強になりました。よく「このツナシの武器は何がルールなの?」とか聞かれるんですけど、ルールの必要性もよくわからなくて(笑)。
渡部 魔法にルールを持ち込むのは、ゲーム屋さんの発想ですね(笑)。ゲームのシステムに組み込まないといけないので。
曽田 『テンプリズム』には、オロメテオールという魔力のようなものが登場するんですけど、よくわからないものに対して人はおそれを抱くじゃないですか。だから、その力に対抗して、同じような力を科学でつくったのが「骨(グウ)の国」、という設定です。
曽田 生まれ落ちた世界によって定められた枠のなかで、登場人物はそれぞれ違う敵と戦っています。その一人ひとりにフォーカスしていきたいと思っているんですよね。これまでの僕の漫画は、主人公にカメラがガーッと寄っていて、他にいかなかったんですよ。それはそれで楽しかったんですけど。
曽田 今回は群像劇のようにしたいんですよね。だからこそ、出てくるキャラクター全員に対して、「その気持ち、わかるなあ」って思ってもらえるマンガを描いてみたい。今までは多少逃げていたところがあったな、と思っているんです。
渡部 へえ、そうなんですか。むしろ先生のマンガは、周りのキャラクターにも道理が通ってるなと思いながら読んでいました。
曽田 あれ、じゃあ僕だけが気にしてたのかな(笑)。まあ、全員が主人公になりうるような、戦う理由や生きる理由をつくってあげたいんですよね。じつは、いまのところ主人公のツナシが一番それができていないかも(笑)。
渡部 ファンタジーの主人公って、動機をつくるのが難しいんですよね。
テンプレのその先のおもしろさを見つける
曽田 これまでの自分のマンガは、主人公に色がありすぎたという反省があって、無色透明の主人公に憧れているんです。名作には主人公を良い意味でアクが無いというか、誰にでも共感しやすい人柄(?)にしているケースがよくある気がします。好かれるキャラというよりは「嫌われない」主人公。『テンプリズム』ではそこに挑戦したい気持ちもあります。一見消極的に聞こえるかもしれませんが、自分のようなタイプの作家にとってこれはむしろ物凄く「攻めた」発想です。
安藤 じゃあ、『テンプリズム』はドラクエ派ってことですね。
渡部 ドラクエはまさに典型的な、主人公が無色透明なシナリオですね。『スター・ウォーズ』もそうですが、まわりから「困ってる、助けてくれ!」と言われて、戦いに行く。
曽田 そのパターンでいこうと思ったんですが、やっぱり僕の性格上……。
渡部 けっこうツナシは、自分の意志を持って走ってますよね(笑)。
曽田 そうなんですよ(笑)。だから、もう骨(グウ)の国を、滅ぼせるくらいの力を彼に持たせちゃおうと思って。そこから、自分を律する鞭を自分の腕で握っているこわさやつらさを描こうかなと。
瑞木 これはかわいそうな立場ですよね。誰もなんとかしてくれない。自分でやるしかない。
渡部 ゲームは主人公が無色透明にならざるを得ないところがあるんです。プレイヤーが人を助けたいと思っているのに、シナリオで主人公がそれを無視する展開にすると、やはり違和感がある。だから、プレイヤーの気持ちと主人公の判断が分かれないように、「普通はこうするよね」というテンプレ的な展開にすることが多いですね。
曽田 テンプレの話をすると、僕は今までずっとテンプレ憎悪で、常にテンプレを裏切る展開にすることに美学を感じてきたんです。『昴 ―スバル―』(※2)のときなんか顕著で、「こう来ると思ったでしょ、絶対しないよ!」みたいな(笑)。
※2 2000年から2002年まで連載していた、バレエ漫画。主人公・宮本すばるが双子の弟の死をきっかけに、バレエの世界で天賦の才を発揮していく物語
安藤 ラスト近くはびっくりしましたね。アレックス編とか、どうなるかわからないジェットコースター的なところがありました(笑)。
曽田 でも最近、テンプレいいじゃんと思い始めたんですよ(笑)。テンプレにのっとって、その上でおもしろくできたらめちゃくちゃ気持ちがいいだろうなって。『テンプリズム』ではそれも挑戦したいと思っています。